27年前の記憶、被災地からのメッセージ、2022年に想うこと

2022/01/17

ユーフォニー代表の木村です。いつもはコンテンツマーケティングやプロモーションに関する潮流や気付きを発信しているコラムですが、今回はエッセイ形式で書いています。

私的な感情の備忘録のような内容ですが、非常時のメディアやプロモーションについて何かを感じていただけたら幸いです。


1995年1月17日の記憶

関西出身の私にとって、忘れることが出来ない日付「1.17」。1995年に阪神・淡路大震災が発生した日である。大阪に住んでいた私は、被災はしなかった。しかし、人生で初めてとなる激しい揺れを経験した27年前のあの日、中学1年生だった頃の記憶は今も残っている。

父は毎朝5時半に起床し6時半には出勤していたが、その時は軽い外科手術による療養期間中だった。地震の発生時刻は5時46分。普段なら母は食事の支度をしている時間だが、この日はまだ布団に入っていた。

湯を沸かしていたら……。
油ものをしていたら……。

父の手術のお陰で、母が無傷で済んだように感じた。

私の部屋では、メタルラックの上部に置いていた(大人の胸の高さ程の位置)ブラウン管のテレビが落下した。ベッドとは離れた場所にあったためケガなどは無かったが、その教訓から家具類は低いものだけで構成するようになった。

登校して知った、甚大な被害の一端

1995年当時、学校から配られる連絡網というものがあった。各家庭の連絡先が書かれた、ピラミッド状の組織図。非常時にはその連絡網を使い、伝言ゲームのように対応を伝えていく。小学生だった妹たちはその日の休校の連絡が回ってきたが、中学生の私には連絡網による休校の通達が無かった。

今思えば、学校に行くような状況ではないし、両親から登校を促された覚えもないのだが、私は中学校に向かった。もしかすると、被害の甚大さを伝えるテレビ画面から、逃れたかったのかもしれない。

私が通う地元の公立校までの道には、激しい被害は無かったように思う。しかし、校内に入って、いつもと違う状況を目撃する。グラウンドに入った【クレバスのような亀裂】と、校舎の廊下のつなぎ目部分の【アルミが歪んだ姿】。この光景は、今も明確に覚えている。

radikoのエリア制限解除で届いたメッセージ

それから十数年が経ち、私は大阪でラジオ番組の制作をするようになった。そして、2011年3月11日、東日本大震災が発生した。

東日本大震災から3日ほど経った頃、普及し始めたばかりのradikoが聴取エリアの制限解除を行った。その影響で、私がディレクターをしていた番組にも被災地からメッセージが届くようになった。

「気が滅入る情報ばかりの中、大阪の番組はトーンは程良く、心が落ち着きます」

避難所生活を余儀なくされている方から、こういう内容のメッセージが寄せられた。

メディアやコンテンツは、時として暴力的である。その一言、その1シーンが、受け手の状況次第では、刃のように突き刺さしてしまう力も持っている。

真面目な話を聞きたい時もあれば、何も考えたくない時もある。
馬鹿話で盛り上がれる時もあれば、そんな話を聞きたくない時もある。

震災直後のテレビでは、連日連夜、被害状況を伝える報道特番が流れていた。東日本のラジオも同じような状況だっただろう。確かに、これを伝えるのはメディアの責務である。

しかし、一部の被災者にとっては、重い現実を突きつけられるだけの“救いの無いもの”になっていたのだ。

そんな時に、”盛り上げるでも、必要以上にトーンを落とすわけでもない”大阪のラジオ番組が、その人には丁度良かったというだけの話かもしれない。

その頃の関西のラジオ局には、阪神・淡路大震災の際に番組を制作していたスタッフやDJがまだまだ多くいた。そのため、何に気を配り・何を優先すべきかという経験値を持っていた先輩方が、私たち後進に的確な指導をしてくれた。そのため、リスナーから先のようなメッセージを頂けたのである。

このメッセージとその時に番組制作をしていた経験は、メディアに関わる意義を感じさせてくれたと同時に、不特定多数とのコミュニケーションの難しさを考えさせられる出来事になった。

2022年1月17日に考えたこと

阪神淡路大震災から27年が経ち、東日本大震災から11年を迎えようとしている。その間に、私の仕事のふり幅は広くなった。音声コンテンツだけではなく映像や文字も扱うし、電波メディアだけでなくWebにも関わっている。

今年中にローンチすべく準備しているものでは、自社で積極的なプロモーションや広告を行う予定にしている。

そんな、2022年の1月17日。私にとって忘れる事が出来ない日付を目にし、改めて肝に銘じておくべき事があると感じている。

メディアやクリエイティブに関わる人間として

インターネットによって、ユーザーは旧来より自由にメディアもコンテンツも選べるようになった。とは言え、ユーザーの今の心境に合わせたサジェスチョンはしてくれない。

広告に至っては、”ユーザーが選ぶ”のではなく、”ユーザーに一方的に押し付ける”という手法から、何も変わっていない。

この先、ユーザーの心境まで配慮するデジタル広告が出てくるかもしれないが、現時点ではユーザー心理を考慮した出稿は出来ない。【過去】の出来事から最適だと判断されたものが出てくるのであって、【現在】に思慮は向けられない。そして、プロモーションによって広げていく商品やサービスは、より良い【未来】に繋がるものであるはずなのだ。

未来の前には、必ず現在がある。出稿でコントロールができないからこそ、どんな状況の人に対しても、刃を突きつけることがないクリエイティブを作らねばならない。

コンバージョンやレスポンスを求めると、刺激的な表現になりがちだ。それは平時であれば、多くの人が笑い飛ばせるかもしれない。だが、今は非常事態とも言える状況が2年も続いている。

その一言、その1シーンが、見た人の心を抉る可能性を秘めている事を、改めて意識しよう。

辛い時期が続けば続くほど、トリガーは脆く繊細になっていく。

早くこの事態から抜け出したいし、安全になったと思いたい気持ちは分かる。ただ、こんな時代だからこそ、特定多数と接触するクリエイティブやメディアに関わる人間は、表に出てこない部分にも、アンテナを張り続ける必要があると感じている。

ソーシャルという言葉でぼやけてしまう時もあるが、メディアはメディアなのだから。

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株式会社ユーフォニー

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